英語には生きがいという言葉がありません。 それに近い言葉で、例えば”my calling”というと「招命感」とでもいいましょうか、要するに宗教的な観点から、「神様にもらった使命」とでもいうような感じ–でも宗教信仰してない人でも使ってます。 要するに語源が宗教的な考えから来ているだけで、別に神様を信じているということを示すことではないわけです–でやっていることのことを指します。 でも生きがいとはちょっとニュアンスが違う。

音楽を趣味でやってらっしゃる方はたくさんいますし、素晴らしいことです。 でも中には音楽なしでないと生きてられない人もいます。 音楽を聴けない生活するくらいなら死んだ方がまし、という人、いるでしょう。 我々ミュージシャンは音楽やらないと生きていけない人種なんです。

だから楽しいからやってるとかというのとはかなり違います。 いや、楽しくないことはないんですけど、でも例えば生きるためには食べなければいけないように、我々は音楽創ってないと生きられない。 売れるからとか売れないとか、他の人がいいというからとか、そんな外部からの理由付けは最終的にはあんまり関係ないんですね。

正直な話、こんな大変なことやめちゃって、もっとおもしろおかしく生きられればいいのに、と思うことが頻繁にあります。 こんなに苦労して最終的には自己満足を追求してるわけですから、他で自己満足なんてつくればいいのに、と。 夢というのは格好よく聞こえますが重荷でもあります。 その重さにつぶされるくらいだったら放り出した方がいいときもあります。

でも夢がない、生きがいがなくて困っている人もたくさんいるわけですから、それでもやっぱり生きがいを見つけた自分は実は幸福なんだというところに最終的にはいきつくんですね。 特に日本は夢や生きがいを追求する以前に、見つけるのが難しい文化だな、と帰る度に思います。楽しいっていう感情とは別の次元で、もっと深いところでそれこそ生きる甲斐のある人生。

はっきりいって死にものぐるいで、痛さや重さに負けそうになりながら、それでも歯を食いしばって半歩ずつ前進していく。 僕の音楽ってそういうものです。 目標も夢もあるんですけど、そこへいくつく過程をどう生きるかということの方が実は大事なようです。 気負いすぎることも多いんで適度に息抜きもしなくてはいけないんですが、でもやっていること、伝えたいこと、それはエンターテインメントではありません。

僕が生きている証のようなものですね。

ロスにある日系楽器メーカー、ProSound Communications Inc. (PCI)のホームページで、この度連載コラムを書かせて頂くことになりました。 PCIはギターの機材で通の間では名高いXoticブランドの親会社で、僕もかねてよりトモ藤田氏やヒロ鈴木氏の連載を楽しみに読んできました。 そんな方々と名前を連ねて連載するのはとても光栄です。

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GoogleにAries9.comがちゃんと登録されているかどうか確認していたら、全く見知らぬ方のブログにAries9が紹介されていることを発見。

基本的にはMySpace Japanにのっているバイオを転載しただけ(残念ながら名前の発音が間違ってますが)なんですが、最後のところにご本人のコメントが。

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情報過多の現在、他との競争に勝つためには刺激を強くしなければいけません。 過激な暴力、どぎつい性描写、極端な性格。

でもこれってすぐ疲れてしまいますよね。 どんなに強い刺激でもそればかりだと強く感じなくなってしまいます。 その状態になった人間はもっと強い刺激を求めるか、それとも逆方向にいって静寂を求めるか。

グーグルの成功の秘訣はここにあるんではないかと僕は思うんですね。 ヤフーと比べてあまりにもシンプルで、奥は深いんだけど一度にそれを主張しない。

年がら年中叫んでいるより、ずっと黙っていて最後にポツリとつぶやいた方が聞いてもらえることがある。

今の時代の課題ってこんなところにあるんではないかと思ってしまいます。

土曜日は珍しく気が滅入ってしまって、どんよりとしていました。 こんなに落ち込んだのはレコーディングが終わって以来初めてです。

別に特にひどいことが起きたという訳ではないんですが、小さなことが内側に積もっていって、遅かれ早かれ洪水に。 で、ひとしきり流れ出た後また平常に戻るんです。 というか僕はそういうやつならしくて、これまでずっとそうでしたし、これはこれからもそうだと思います。

僕は別に親から虐待を受けたわけでもないし、友達もいつもいたし、別に悲劇的な環境に育ったということは決してないんですが、それでも思春期にはかなり暗い時期もありました。 特に覚えているのが高3のとき、ブラジルで一人暮らししていたんですが、僕は独りになるといつも感情の制御ができないものですからあの時のどん底は人生の中でも一番深い部類に入ると思います。 時には刃物の近くにいくのを避けるほどでした。 発作的に何かしてしまいそうで。

そのせいか何か知らないんですが、いつも惹かれるのは暗い曲。いや、別に暗くなくてはいけないということは決してないんですが、でも怒りとか悲しみとか日常生活の中であまり表現することのない感情で共感してしまうともう強烈にその音楽にのめり込んでしまいます。 安易な問題解決や希望のない、ただただつらい現実を描写するような歌。 自分が一番創りたかったのも、そういう音楽なんですね。

そしてその動機の底にあるのが、やっぱり日本から生まれて来た自分の土壌があるんだと思います。 日本人は悲劇好きだという話は前にもしたかと思いますが、それにしてもそれを見事に体現している今の日本。

自殺大国の日本なんて今更驚きでも何でもないですが、しかしそれにしても毎日100人が成功(未遂の人も数えるともっと)するという日常に慣れてしまった我々はどうしてしまったんでしょう? 日本語は本質を回り道でしか表現できない言葉だし、我々の人間関係もそうなりがちだけど、しかしあんなに狭いところに、お互い身を寄せ合いながら生きているのに、どうしてこんなことになってしまったんでしょう?

僕は昔から感受性が強いと親から言われ続けて育ったんですが、実際他人の感情を自分も感じるという傾向は人一倍強いようです。 別に注意してみてるわけでもないと思うんですけど、側にいる人、家族から赤の他人まで、ちょっとした動作が発信するその秘められた感情をキャッチしてしまうみたいです。 それは他人の気持ちがわかるといえば格好いいですが、時には苦痛以外の何者でもありません。 僕だって答えや癒しをもたらせるわけではないんです。 だったら一緒になって惨めになってないで、せめて自分だけでも元気にやってた方が、世界にとっても悲惨な人が一人減る方がいいんじゃないかと思うんですけど。

でもそういう人間だから、人との距離には気を使います。 また逆に一旦相手を気にかけてしまうと、おせっかいなくらいまで気にかけてしまいます。 僕が本当に優しい人間だからではなくて、単なる自己防衛、要するにその人の痛みを感じたくないからなんです。

そういうわけで、基本的には全然不幸せでない今となっても、僕はまだまだ暗い音楽に惹かれるし、それを創りたいと思うんです。 自分の傷の話ではないですし、手持ちの曲のどれも自分の話ではないんです。 人の話、友人でも、家族でも、ニュースで聞いた話でもいいんですけど、他の人のつらい現実、そこから貰う僕の感情。 そういうものを発散させるというか表現する必要にかられて、こんな音楽を創っています。 世界を救えるわけでもないし、他の人だって本当は助けてあげる力は持っていないんです。 でも光の見えない暗い現実も、それを見つめているのが自分一人じゃない、誰かわかってくれる人がいる。 それを実感したとき、それがその日その日を生き延びる力になってくれたら···

そんな願いをこめてこの音楽をやっています。

アルバムのタイトル、”Darkness Reveals the Beauty of Truth” は、一番目の曲”Shark”の次の二行が元になっています。

“Hey… join me in the dark
We’ll look for the truth, the shark”

訳すると、

「ヘイ、暗闇の中で会おうぜ
サメという名の真実を探しにいこう」

という具合になります。

というか、アルバムの先頭を飾るという意味でも重要な曲なんですが、以前からこの2行がアルバムのテーマを凝縮しているな、と目をつけていました。 「サメという名の真実」という言い回しが自分でもかっこいいと思いましたし。(笑)

でも”Join me in the dark” とすると平凡な感じだし、darkness とかsharkもどうも単純すぎていまいち、と悶々と考えていたある日、上記のタイトルのアイデアが思い浮かんだんです。

最初ははっきりいって身じろぎました。 あまりにも大げさだし、クサい。 インディーでリリースする小規模なアルバムにこんな大きな仕草のタイトルをつけるのは仰々しいと思いました。

でも考えれば考えるほどこの一行が頭から離れないんですね。 非常にインパクトがあるし、意味合いも新鮮で興味深い。 日本語に訳すと、「暗闇が真実の美しさを照らし出す」という風になりますが、そもそも暗闇が照らし出す、という行為自体矛盾してますし、「真実の美しさ」といっても内容、特に歌詞は全く美しくありません。 音楽的には「美しい」と形容できるところもありますが、それにしても醜い、暗い話ばかりです。

自分でもこんなタイトルつけちゃっていいのかな、と思いましたが、かねてから考えていたジャケットのイメージとも相性はばっちり。 恐れ多いことですが、これでいくことにしました。

僕は歌詞作りでも、結構直感的に言葉をちりばめちゃって後でどういう意味なのか考えるのが好きなんですが、このタイトルも居座っているうちにイメージがどんどんわいてきて、今ではとても気に入っています。 しばらくしたらタイトルの意味もそれなりに自分の中では見えてきましたし。

暗闇の中にあなたがみつけるのは、美しい真実なのか、それとも···?  聴いて考えて下さい。

予想がつかないと不安になることってありますよね。 僕もそうです。

でも考えてみると、未来への予想がつかないというのは悪い状態ではないと思います。 だって、実は誰も次に何が起るのかわからない。 予定や憶測がいっぱいあっても、その通りできる力は誰にもない。 どんなに綿密にたてたプランだって、予期せぬできごとによって大きく変えられたりしますからね。

かえってプランとかがあるとそれに捕われてしまうことだってあります。 本当にそのようになるのか心配になったり、準備に手落ちがないのか確かめようとストレスがたまったり。

白紙の状態の方が、「何が起きるんだろう」ってワクワクすること、ないですか– どんなことでも起こりえる。 自由でいいじゃないですか。 それはいつもそうなのに、効率的にやろうとするがためプランや計画で人生を必要以上に縛ってるような気がします。 プラン立てるなっていうわけではないんですけど、立ててもでもそれに執着するなってことですね。

わからないということは恐いことではないんだ、て自分にいい聞かせながらやっています。

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