Archive for 10 月, 2007

土曜日は珍しく気が滅入ってしまって、どんよりとしていました。 こんなに落ち込んだのはレコーディングが終わって以来初めてです。

別に特にひどいことが起きたという訳ではないんですが、小さなことが内側に積もっていって、遅かれ早かれ洪水に。 で、ひとしきり流れ出た後また平常に戻るんです。 というか僕はそういうやつならしくて、これまでずっとそうでしたし、これはこれからもそうだと思います。

僕は別に親から虐待を受けたわけでもないし、友達もいつもいたし、別に悲劇的な環境に育ったということは決してないんですが、それでも思春期にはかなり暗い時期もありました。 特に覚えているのが高3のとき、ブラジルで一人暮らししていたんですが、僕は独りになるといつも感情の制御ができないものですからあの時のどん底は人生の中でも一番深い部類に入ると思います。 時には刃物の近くにいくのを避けるほどでした。 発作的に何かしてしまいそうで。

そのせいか何か知らないんですが、いつも惹かれるのは暗い曲。いや、別に暗くなくてはいけないということは決してないんですが、でも怒りとか悲しみとか日常生活の中であまり表現することのない感情で共感してしまうともう強烈にその音楽にのめり込んでしまいます。 安易な問題解決や希望のない、ただただつらい現実を描写するような歌。 自分が一番創りたかったのも、そういう音楽なんですね。

そしてその動機の底にあるのが、やっぱり日本から生まれて来た自分の土壌があるんだと思います。 日本人は悲劇好きだという話は前にもしたかと思いますが、それにしてもそれを見事に体現している今の日本。

自殺大国の日本なんて今更驚きでも何でもないですが、しかしそれにしても毎日100人が成功(未遂の人も数えるともっと)するという日常に慣れてしまった我々はどうしてしまったんでしょう? 日本語は本質を回り道でしか表現できない言葉だし、我々の人間関係もそうなりがちだけど、しかしあんなに狭いところに、お互い身を寄せ合いながら生きているのに、どうしてこんなことになってしまったんでしょう?

僕は昔から感受性が強いと親から言われ続けて育ったんですが、実際他人の感情を自分も感じるという傾向は人一倍強いようです。 別に注意してみてるわけでもないと思うんですけど、側にいる人、家族から赤の他人まで、ちょっとした動作が発信するその秘められた感情をキャッチしてしまうみたいです。 それは他人の気持ちがわかるといえば格好いいですが、時には苦痛以外の何者でもありません。 僕だって答えや癒しをもたらせるわけではないんです。 だったら一緒になって惨めになってないで、せめて自分だけでも元気にやってた方が、世界にとっても悲惨な人が一人減る方がいいんじゃないかと思うんですけど。

でもそういう人間だから、人との距離には気を使います。 また逆に一旦相手を気にかけてしまうと、おせっかいなくらいまで気にかけてしまいます。 僕が本当に優しい人間だからではなくて、単なる自己防衛、要するにその人の痛みを感じたくないからなんです。

そういうわけで、基本的には全然不幸せでない今となっても、僕はまだまだ暗い音楽に惹かれるし、それを創りたいと思うんです。 自分の傷の話ではないですし、手持ちの曲のどれも自分の話ではないんです。 人の話、友人でも、家族でも、ニュースで聞いた話でもいいんですけど、他の人のつらい現実、そこから貰う僕の感情。 そういうものを発散させるというか表現する必要にかられて、こんな音楽を創っています。 世界を救えるわけでもないし、他の人だって本当は助けてあげる力は持っていないんです。 でも光の見えない暗い現実も、それを見つめているのが自分一人じゃない、誰かわかってくれる人がいる。 それを実感したとき、それがその日その日を生き延びる力になってくれたら···

そんな願いをこめてこの音楽をやっています。

アルバムのタイトル、”Darkness Reveals the Beauty of Truth” は、一番目の曲”Shark”の次の二行が元になっています。

“Hey… join me in the dark
We’ll look for the truth, the shark”

訳すると、

「ヘイ、暗闇の中で会おうぜ
サメという名の真実を探しにいこう」

という具合になります。

というか、アルバムの先頭を飾るという意味でも重要な曲なんですが、以前からこの2行がアルバムのテーマを凝縮しているな、と目をつけていました。 「サメという名の真実」という言い回しが自分でもかっこいいと思いましたし。(笑)

でも”Join me in the dark” とすると平凡な感じだし、darkness とかsharkもどうも単純すぎていまいち、と悶々と考えていたある日、上記のタイトルのアイデアが思い浮かんだんです。

最初ははっきりいって身じろぎました。 あまりにも大げさだし、クサい。 インディーでリリースする小規模なアルバムにこんな大きな仕草のタイトルをつけるのは仰々しいと思いました。

でも考えれば考えるほどこの一行が頭から離れないんですね。 非常にインパクトがあるし、意味合いも新鮮で興味深い。 日本語に訳すと、「暗闇が真実の美しさを照らし出す」という風になりますが、そもそも暗闇が照らし出す、という行為自体矛盾してますし、「真実の美しさ」といっても内容、特に歌詞は全く美しくありません。 音楽的には「美しい」と形容できるところもありますが、それにしても醜い、暗い話ばかりです。

自分でもこんなタイトルつけちゃっていいのかな、と思いましたが、かねてから考えていたジャケットのイメージとも相性はばっちり。 恐れ多いことですが、これでいくことにしました。

僕は歌詞作りでも、結構直感的に言葉をちりばめちゃって後でどういう意味なのか考えるのが好きなんですが、このタイトルも居座っているうちにイメージがどんどんわいてきて、今ではとても気に入っています。 しばらくしたらタイトルの意味もそれなりに自分の中では見えてきましたし。

暗闇の中にあなたがみつけるのは、美しい真実なのか、それとも···?  聴いて考えて下さい。

予想がつかないと不安になることってありますよね。 僕もそうです。

でも考えてみると、未来への予想がつかないというのは悪い状態ではないと思います。 だって、実は誰も次に何が起るのかわからない。 予定や憶測がいっぱいあっても、その通りできる力は誰にもない。 どんなに綿密にたてたプランだって、予期せぬできごとによって大きく変えられたりしますからね。

かえってプランとかがあるとそれに捕われてしまうことだってあります。 本当にそのようになるのか心配になったり、準備に手落ちがないのか確かめようとストレスがたまったり。

白紙の状態の方が、「何が起きるんだろう」ってワクワクすること、ないですか– どんなことでも起こりえる。 自由でいいじゃないですか。 それはいつもそうなのに、効率的にやろうとするがためプランや計画で人生を必要以上に縛ってるような気がします。 プラン立てるなっていうわけではないんですけど、立ててもでもそれに執着するなってことですね。

わからないということは恐いことではないんだ、て自分にいい聞かせながらやっています。

ある本で読んだんですけど、日本語を習っている人口って世界中で増えているようです。

それがなぜなのか妻と二人で考えてみたんですけど、少なくともアメリカではやっぱり日本の輸出するものの影響が大きいと思います。 電化製品と自動車は日本の強さで知られるところですが、最近では大きいのはゲーム、アニメ、漫画。

こっちでもドラゴンボールとかポケモンとか大ヒットしてるんですけど、今や朝の子供の時間帯にながれているカルトューン–こっちでいうアニメのこと–の半分くらいが日本のの焼き回し。 こっちでは声優業がまだ俳優業の下っ端という位置づけなので演技がひどくて見るに耐えないですけど。

でも漫画ももうかなり普及していて、どこの本屋でも漫画–いわゆるアメコミとは扱いが違う–コーナーがありますし、ネット上ではまだ出版されていない漫画、アニメ、ゲームを素人が訳したやつが氾濫しています。

でもこれって考えてみるとすごいことです。 ゲーム、アニメ、漫画、どれも10代の若者に受けるメディアですよ。 この年齢の人たちに日本からの商品がこれほどまでに受け入れられているということは、この人たちが大人になった時にどんなインパクトを持つのか、はっきりいって想像もつきません。

逆に残念なことは、特にアニメや漫画に関してはこっちでまず出るのは暴力とかのきついゲテモノで、いわゆるこっちの日本へのステレオタイプを肯定してやるようなものばかり。侍とか忍者とか巨乳の女の子とか。 宮崎さんのアニメは受け入れられましたがその他の深みのある作品はなかなか来ないです。

これは政府も国をあげて奨励すべき流れだと思います。 日本のこの産業をサポートし、また本当に良い作品が出て行くのを助けるような姿勢。 具体的にそういう政策ですれば、というところまではまだ考えてないですが。–笑–

残念ながら音楽はこれに入ってないです。 クラシックやジャズ畑では日本人も認められているものの、ポピュラーでは全然駄目。 でも野球だって昔は日本は二流と見られていたのに最近では毎年日本人のいるチームがワールドシリーズに行っていますし、きっかけをつくる人はいるものです。

僕も日本に対してそういう貢献ができるといいな、と夢見ています

こっちで聞いた話ですけど、「赤ん坊は、羽がついていることを忘れてしまった天使」なんですって。

うちの子供たちを見ていると、本当にそうだな、と思います。 赤ん坊って本当にすごい。 無限の可能性が秘められているんです。 好奇心旺盛で、スポンジみたいに情報を吸収して、みるみるうちに大きくなっていく。

人間は、誰でも最初はこうだったんですよね。 無垢で、雲一つない深い空のような目をして、誰かに全てを委ねて、そうやって大きくなってきたんです。

なのに、小さな子供にひどいことをする人がいる。 病んでいるのか、怒っているのか知らないですけど、この未来のいっぱい詰まった小さな箱を踏みつぶしてしまう人。 自分も最初は同じだったのに、自分も実は羽がついていたのに、もう跡形もなく忘れてしまって、自分は最初からそうだったかのようにふるまって。

羽があることを忘れてしまうのはすごく悲しいことです。 でもみんなどうやって飛ぶのか思い出そうとしながら生きている。 もう完全にあの頃に戻るのは不可能だとわかっていても、希望を捨てないで。 一人ではできないから、支え合いながら。

この人たちは、本当にいいこの記憶を、手の届かない心の底にしまいこんでしまったんでしょうね。 それでそのつらい状態が普通なもんだから、他の人にもそれを普通の現実としてほしいんです。 一人では耐えられないから。

でもどんなにその上に醜いものを積み上げてしまった人でも、一度持っていたものは本当はなくならないんです。 僕も信じられないような回復をした人を知っています。 つらくて悲しいプロセスだったけど、でも醜いものを全部掘り出して、下に埋めてしまった宝物を見つけたんです。

もう赤ん坊には戻れないし、可能性も無限という状態には戻せないかもしれない。 でも羽を持っているということは、きっと思い出せるはず。 みんな最初はそうだったんだから。

そんな希望を大事にしながら生きていきたいです。

ついにCDが発売されました。 英語圏1のインディーCD販売業者、CDbaby.comは素晴らしいサービスなんですが、しかし送ってから発売されるまで一週間以上かかると知らなかった僕は首をながーーーーくして待っていたわけです。 いや、1年以上の期間にまたがって作ったんですが、最後の一週間、ただ待っているだけの時間が一番長く感じました。 不思議ですね。(笑)

しかし、自分で自分の好きな、こだわりの音楽をつくって、つくる過程で完全燃焼できて、それを世間に発表できるというのは本当に幸せなことです。 レーベルなしでもそれを全世界相手に一人でやることができる今の時代に生まれたことをとても感謝しています。

日本からでもオーダーできますし、じきにMp3ダウンロードの販売も同じところで始まります。(ゆくゆくはiTunesやNapsterでも販売されます)

聴いたことある方たちも好反応が返って来てます。 ある音楽業界の方なんかも「自分にとって久々のヒット」と嬉しいことを言ってくれました。 やっぱり全部通して数回聴くとじわじわとしみて来る、というタイプの音楽なんだと思います。 自分もそうで、あんまり頻繁に本当に好きな音楽には出会わないんですが、いざ好きになるとそればっかり聴いてしまうという性格。 しかし、自分の創った音楽を聴いて喜んで頂くのは本当に至福の体験ですね。 感謝の気持ちで胸一杯になります。

夢がかなったとはいってもこれで活動が終わりなんではなく、今まさに始まったところですから、これからも頑張ります。 もう次回作の構想はほぼできてますし、創るのにまた1年以上かかるとなると、すぐにとりかからなくてはいけません。 プロモーションもまだやることが山積みです。 忙しいです。 でも充実していて幸せです。

さて、前回の話の続きです。 名前の由来の話。

僕は大学で音楽を選考したんですが、親の意向もあって元からロックがやりたかったんですが、大学は総合大学の音楽科で主にクラシックの理論と作曲をかじったんですね。 で、それはそれなりに成功、というか成績は悪くなかったんですが、同期の仲間は皆学校の先生か大学院へ行くか、という感じだったんですけど僕は大学を出てせいせいした、という感じで–アメリカでは大学は出る方が大変なので–本格的にロックをやり始めたんです。

テキサス州オースティンへ引っ越してきてバンド始めたんですけど、それがやっぱり色々うまくいかない。 で、愛想つかして自分でアコギ一つ抱えてコーヒーハウス–日本でいう喫茶店と似ています–とか小さいところでギグしたんですけど、やっぱり歌がロックなのでアコギ一本でやってもちっとも良くないんですね。 というか曲の本性が発揮できないんです。 なのでそこからまた発展してリズム隊つれて3ピースでやり始めたんですけど、これもうまくいかなくて解体。

次にはサポートギタリストとして活動し始め、その他に採譜の仕事やコンピューターで音楽できるようセットアップしてあげるようなことも手がけ、その後映画作曲とデモのプロデュースを始めたんです。 この辺はバイオグラフィーに書いてある通りなんですが、要するにここまで自分が最初から本当にやりたかったこと以外の音楽のキャリアというか方向性は全部試しているんです。

で、満を持してというか最後まで逃げていたというか、ここにきてついに自分が最初から書き貯めていたロックの曲たちを、ライブではその可能性を発揮するようなメンツが維持できないのでレコーディングで今の自分にできる精一杯のことをしてやろうということになりました。 二児の父親になり、「昼間の仕事」もそれなりにしっかりした会社員やらなくてはいけなくなったというのも関連しています。 今後音楽活動に専念する時間は本当に限られてしまうけど、どんなに細々とでもいいから自分の生き甲斐を追求したいという念ですね。

去年亡くなった父が前から「人生とは死ぬ瞬間への準備のプロセスである」というようなことを教えてくれたんですが、それは決して暗い切羽詰まった話でなくて、要するに人生のクライマックスであるその旅立ちの時に際して、やり残したことがないように生きろ、ということだったんです。 で、僕の中でやはり残っていたのは長年頭の中で延々と流れていたこの曲たちを世間に出してやらなければ、ということ。 予算も実力も些細なものなんだけど、今の自分の全てをつぎ込んでこの曲たちに日の目を見させてあげよう、と思ったわけです。

なので番号「9」はある意味自分の最後の挑戦、一番最後まで大事にとっておいたもの、隠していたものを賭ける、という意味合いでつけました。

というわけで実はAriesよりも9の方に大きな意味があったんですね。 はっきりいって9の前は何でもよかったんです(笑)

あ、でも最後の挑戦とはいってもこのアルバムが最初で最後になるということではないです。 今まで色々やっていた中、最後、真打ちの登場、という感じですね。(笑) 一枚目は手持ちの曲の半分しか入らなかったわけですし、Aries9はやっぱり僕が生き甲斐と感じている音楽ですから、もうやる必要がなくなる日まで続けたいと思います。