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土曜日は珍しく気が滅入ってしまって、どんよりとしていました。 こんなに落ち込んだのはレコーディングが終わって以来初めてです。

別に特にひどいことが起きたという訳ではないんですが、小さなことが内側に積もっていって、遅かれ早かれ洪水に。 で、ひとしきり流れ出た後また平常に戻るんです。 というか僕はそういうやつならしくて、これまでずっとそうでしたし、これはこれからもそうだと思います。

僕は別に親から虐待を受けたわけでもないし、友達もいつもいたし、別に悲劇的な環境に育ったということは決してないんですが、それでも思春期にはかなり暗い時期もありました。 特に覚えているのが高3のとき、ブラジルで一人暮らししていたんですが、僕は独りになるといつも感情の制御ができないものですからあの時のどん底は人生の中でも一番深い部類に入ると思います。 時には刃物の近くにいくのを避けるほどでした。 発作的に何かしてしまいそうで。

そのせいか何か知らないんですが、いつも惹かれるのは暗い曲。いや、別に暗くなくてはいけないということは決してないんですが、でも怒りとか悲しみとか日常生活の中であまり表現することのない感情で共感してしまうともう強烈にその音楽にのめり込んでしまいます。 安易な問題解決や希望のない、ただただつらい現実を描写するような歌。 自分が一番創りたかったのも、そういう音楽なんですね。

そしてその動機の底にあるのが、やっぱり日本から生まれて来た自分の土壌があるんだと思います。 日本人は悲劇好きだという話は前にもしたかと思いますが、それにしてもそれを見事に体現している今の日本。

自殺大国の日本なんて今更驚きでも何でもないですが、しかしそれにしても毎日100人が成功(未遂の人も数えるともっと)するという日常に慣れてしまった我々はどうしてしまったんでしょう? 日本語は本質を回り道でしか表現できない言葉だし、我々の人間関係もそうなりがちだけど、しかしあんなに狭いところに、お互い身を寄せ合いながら生きているのに、どうしてこんなことになってしまったんでしょう?

僕は昔から感受性が強いと親から言われ続けて育ったんですが、実際他人の感情を自分も感じるという傾向は人一倍強いようです。 別に注意してみてるわけでもないと思うんですけど、側にいる人、家族から赤の他人まで、ちょっとした動作が発信するその秘められた感情をキャッチしてしまうみたいです。 それは他人の気持ちがわかるといえば格好いいですが、時には苦痛以外の何者でもありません。 僕だって答えや癒しをもたらせるわけではないんです。 だったら一緒になって惨めになってないで、せめて自分だけでも元気にやってた方が、世界にとっても悲惨な人が一人減る方がいいんじゃないかと思うんですけど。

でもそういう人間だから、人との距離には気を使います。 また逆に一旦相手を気にかけてしまうと、おせっかいなくらいまで気にかけてしまいます。 僕が本当に優しい人間だからではなくて、単なる自己防衛、要するにその人の痛みを感じたくないからなんです。

そういうわけで、基本的には全然不幸せでない今となっても、僕はまだまだ暗い音楽に惹かれるし、それを創りたいと思うんです。 自分の傷の話ではないですし、手持ちの曲のどれも自分の話ではないんです。 人の話、友人でも、家族でも、ニュースで聞いた話でもいいんですけど、他の人のつらい現実、そこから貰う僕の感情。 そういうものを発散させるというか表現する必要にかられて、こんな音楽を創っています。 世界を救えるわけでもないし、他の人だって本当は助けてあげる力は持っていないんです。 でも光の見えない暗い現実も、それを見つめているのが自分一人じゃない、誰かわかってくれる人がいる。 それを実感したとき、それがその日その日を生き延びる力になってくれたら···

そんな願いをこめてこの音楽をやっています。

予想がつかないと不安になることってありますよね。 僕もそうです。

でも考えてみると、未来への予想がつかないというのは悪い状態ではないと思います。 だって、実は誰も次に何が起るのかわからない。 予定や憶測がいっぱいあっても、その通りできる力は誰にもない。 どんなに綿密にたてたプランだって、予期せぬできごとによって大きく変えられたりしますからね。

かえってプランとかがあるとそれに捕われてしまうことだってあります。 本当にそのようになるのか心配になったり、準備に手落ちがないのか確かめようとストレスがたまったり。

白紙の状態の方が、「何が起きるんだろう」ってワクワクすること、ないですか– どんなことでも起こりえる。 自由でいいじゃないですか。 それはいつもそうなのに、効率的にやろうとするがためプランや計画で人生を必要以上に縛ってるような気がします。 プラン立てるなっていうわけではないんですけど、立ててもでもそれに執着するなってことですね。

わからないということは恐いことではないんだ、て自分にいい聞かせながらやっています。

こっちで聞いた話ですけど、「赤ん坊は、羽がついていることを忘れてしまった天使」なんですって。

うちの子供たちを見ていると、本当にそうだな、と思います。 赤ん坊って本当にすごい。 無限の可能性が秘められているんです。 好奇心旺盛で、スポンジみたいに情報を吸収して、みるみるうちに大きくなっていく。

人間は、誰でも最初はこうだったんですよね。 無垢で、雲一つない深い空のような目をして、誰かに全てを委ねて、そうやって大きくなってきたんです。

なのに、小さな子供にひどいことをする人がいる。 病んでいるのか、怒っているのか知らないですけど、この未来のいっぱい詰まった小さな箱を踏みつぶしてしまう人。 自分も最初は同じだったのに、自分も実は羽がついていたのに、もう跡形もなく忘れてしまって、自分は最初からそうだったかのようにふるまって。

羽があることを忘れてしまうのはすごく悲しいことです。 でもみんなどうやって飛ぶのか思い出そうとしながら生きている。 もう完全にあの頃に戻るのは不可能だとわかっていても、希望を捨てないで。 一人ではできないから、支え合いながら。

この人たちは、本当にいいこの記憶を、手の届かない心の底にしまいこんでしまったんでしょうね。 それでそのつらい状態が普通なもんだから、他の人にもそれを普通の現実としてほしいんです。 一人では耐えられないから。

でもどんなにその上に醜いものを積み上げてしまった人でも、一度持っていたものは本当はなくならないんです。 僕も信じられないような回復をした人を知っています。 つらくて悲しいプロセスだったけど、でも醜いものを全部掘り出して、下に埋めてしまった宝物を見つけたんです。

もう赤ん坊には戻れないし、可能性も無限という状態には戻せないかもしれない。 でも羽を持っているということは、きっと思い出せるはず。 みんな最初はそうだったんだから。

そんな希望を大事にしながら生きていきたいです。

さて、アルバムのレコーディングが終わってからやっぱり気が抜けたのか、しばらく何もする気がおきない時間を過ごしています。 いや、やることはいっぱいあるんですし、色々やってますけど、でも何も楽しくないし、やりたいこともない。 前には興味のあった楽器とか機材にも興味ゼロ。 ギターももう2ヶ月ほど触ってないですし、前はなにか練習しなくては、という脅迫観念みたいなものがあったんですけどそれも皆無。 映画も音楽も何も面白くない。 いい意味でいえばリラックスしてるんですけど、悪い意味では生きる意欲というか、何を楽しみにすればいいんだかわからない。 こんなに力の抜けた体験は初めてなので、なんか戸惑ってました。

ここんとこついに思い当たったんですが、やっぱり自分の音楽を創るという全身全霊使い切らなくてはいけない作業、自分の能力以上のものを引き出さなくてはいけなかった課題というものに巡り会ったんで、たぶん他のことがつまらなくみえるんだということなんではと。

というのも、ここ1、2週間ほど何がもんもんと頭の中に浮かび上がってくるか、というと、実はもう次回作の音楽がじゃんじゃん流れてるんですね、これが。 もともと手持ち20曲くらいある中から今回できる曲を10曲選んでアルバムに、という経緯でできているわけなんですが、始める前はいきなりダブルアルバムにしちゃおうか、と思ったことがあるわけで–しなくてよかった–入らなかった曲が悪いというわけでは全くないんです。

もうヒーヒーいいながら一枚創って、でもそれがまだ出てないうちにはまた音楽創ることしか考えてないんだからこれはもう治らないですね。–笑– しかも数日前それとは別に、もっと構想のでかいコンセプトアルバムのアイデアを思いついてしまったんですが、もう興奮してしまってそれ以来そのことばかり考えているんです。–笑– 外部からのインプットなしで、勝手に一人で冷めたり熱くなったりしてるんだからはたからみたら滑稽でしょうね。

でもまあこれでいいんだと思います。 自分の生き甲斐が何かはもう疑う余地がありません。 生きる力とは与えられるものではなくて、中から泉のように湧いて出て来るものなんです。 これのおかげで生きることができるんだと思います。 でないと何をして生きていけばいいのかわからないですからね。

僕の友人で映画業界へ進出しようと夢見ていた人がいます。 その人は現在では断念というかその夢を追求していないんですけど、一つ言っていたことに印象に残ったのか、「私は脚本家としても監督としてもすぐれた技術を持っているが、でも自分でこれだけは自分が世界に発表しなければという話には巡り会わなかった」という言葉です。

ここのところで多くのアーティストは勘違いしてるような気がします。 ロックスターになりたいとか、映画監督になりたいとか、そういうステータス的、何かになりたい、それになることによって自分の存在を肯定するといでもいうような理由の方が先行してるんですね。 僕も長いことそうでした。 音楽を創るということでなくて、音楽を創る人になるのが目的になってしまうと、これが似てるようで実はかなり違ってきてしまうんです。 後者が夢の場合はかなり小手先であれやこれやと操作して、こう人生を何か自分の手で操ろうとしなければならないような気がするんです。 この仕事はやった方がキャリアのためになるかな、とか、この人を味方につけておくとあとで役に立つかな、とか、言葉にして暴露してしまうと何だか利己主義で他人を自分の目的のために利用するような、嫌な感じに聞こえてしまうんですね。

僕もここまで10年以上、そうやってやってきました。 でも結果としてはボコボコに凹まされたという感じ。 やることなすこと全てうまくいかないんです。 いや、それなりに実績を積んできましたけど、ちょっといくとすぐ行き詰まってしまう。 才能がないんだろうかとかやり方が悪いんだろうかとかもちろん心を悩ませました。 でも回答は見えてくるどころか、さっぱりわからないまま。

今回このアルバムをリリースするにいたっては、もうキャリアとしての音楽は考えずに、とにかく原点に戻って自分のやりたかった音楽をやろうじゃないか、というようなところから始まりました。 前にも書きましたように、この音楽をやらないで死んだら後悔するというのもここ数年わかってきましたし。

で、やってみてわかったのはやっぱり自分はこの曲たちを世界に飛び立たせてあげるという使命があったんだな、ということ。 それが自分の人生の一番の使命かどうかはまだ人生終わってないのでどうにも判断がつきようにありませんが、それでもこれが自分が生きていてやらなくてはいけないことの一部だったということは確信がもてたんですね。 変な話ですが、僕は曲というのは神からもらう贈り物のようなものと考えているんです。 で、もらって嬉しいものでもあるんですけど、でもそれには実は責任がついてくる。 せっかくもらった素晴らしい (と自分には思える) 曲たちを、自分の頭の中だけにしまっておいてはいけない、ということですね。 その上、もちろん世界に発表するにはそれなりにある程度以上「うまく」やらないと曲の持つ可能性というものが全く聞く側に伝わらないわけですから、ただやればいいというものでもないわけです。

誰にも頼まれたわけでもない、自分の中での使命感と責任感だけをモチベーションとした音楽。 これを実行に移すことがなかなかできなかったのは、僕が逃げていたからでもあります。 しまっておくことにより思い入れだけが拡大したこの音楽を冷たい世界にさらしものにするのはつらいものもありますし、何より実際にやってみて自分の頭の中でイメージしていたレベルに達しないという現実にあうかもしれない、そこが一番恐かった。 実際できてしまうと実は大したことなかったということにはなりなくなかったんです。 曲自体が大したことなかったのか、自分の演奏技術が合格点以下で曲を損なってしまったのか、どちらししても。

だからレコーディング中もその恐怖ととなりあわせのプロセスで、楽しくないことはなかったんですけど薄氷を踏むようなところも多くあり、多いに追い込まれた気分を味わいました。

で、できたものは今の自分の持てる能力を最大限(以上)につぎ込んだ、正に限界のところまで突き詰めたものになりました。 でも実は自分ではこれでいいものなのかまだいまいち判断つかないんです(苦笑)、とにかく自分ではもう限界(以上)のところまでいっているのでここでもうあきらめるしかない、というところまでいっているというとこだけは確信が持てるんですね。(笑) 完璧とか、理想とかいうレベルにはもちろんほど遠いんです。 (笑) でも精一杯頑張ったんだから、例え結果がついてこなくても後で自分で自分を許せるようになるだろうとは思うんですが。 (笑) ここでいう「結果」とはどれだけの人に気に入ってもらえるとか、どれだけのアルバムが売れるか、とかそういうとこも絡んではくるんですが、基本的には何年もたって振り返ったときに、自分で誇りをもってこの音楽をとらえられるか、という点なんですが。

マスタリングもようやく終わり、とりあえずこの一組の曲たちを発表するようになるまであともう少し。 今を生きている人間としての最低限の責任として、これだけは世界に発したかったという僕のメッセージなんですが、それがいったいどういう内容なのか、それは音楽を聴いて貰って判断してもらいたいと思います。 この10曲と、その続編になる次のアルバムとを合わせて初めて全貌が見えるようになってるので、最終的な結論はまだ先になりますが。

とにかくこの音楽は僕が全身全霊かけて訴えるもの。 それを発表するまで、あと少しになりました。

いつも誤解されてるような気がするんですけど。

我々ミュージシャンは音楽をやりたいからやるんではなくて、やらなくてはいけないからやるんですね。

そうでなければやってられないです。 こんな難しいこと。

僕はそんなに多才でもないんですけど、他にももっと簡単にうまくできることはたくさんあるんです。 いや、音楽ほど大変なことはないと思います。 音楽とはいつも格闘していて、ボコボコに凹まされることもしょっちゅうです。 「楽しい」かといえば楽しくないということはないんですが、楽しいという言葉ではちょっと軽薄すぎるような気がします。 充実してるといった方がいいかもしれません。

人生で本当に意味があることって、大変なことばかりなような気がします。 大変だから意味があるのかもしれません。 結婚しかり、子育てしかり、芸術、スポーツなど。 どれもうまくやろうと思ったらべらぼうに大変です。

でも難しいからこそやりがいがあるんだと思います。 全身全霊かけて挑戦してもできるかどうかわからないことだからこそ挑戦するんだと思います。 それで失敗してもいいんです。 人生ってのは目的を達成することが意義あるんではなくて、渾身の力をこめて挑戦することが意義あるんだと思います。 ですから、挑戦した段階で、実は我々には「失敗」という結果はなくなるんですね。 例え望んでいた結果が出なくても、悔いは残らないですし、死ぬ時に「あれはやり残した」と悔やむことにはならないと思います。

でもその挑戦するところ、自分の命を賭けるところは人によって様々です。 それを見つけられた僕は幸せなんだと思います。